10月18日 おばあちゃんの86歳のお誕生日だった。
大阪のおじ様とおば様は、私たちが愛媛に帰省しているのを知っていたから、少し大きめのお菓子を誕生日よりはやめに送ってくれた。
それとおばあちゃんの性格をよくよく理解しているから、私たちにプレゼントを見繕ってもらってくださいという手紙を添えて、お祝いを包んでいた。(おばあちゃんは物欲がないのです。)
当日に、農協からはカランコエの鉢が届いた。
そしてハワイのおじさまとユキコさんからは大きな大きなユリとバラとアンスリュームのアレンジメントが届いた。
おばあちゃんは「お花なんぞモッタイナイ!」っていうけど、ほんとはほんとは嬉しそうだったの、知ってるんだから。
パーティの準備は当日バタバタと始めた。
おばあちゃんは「お花なんぞモッタイナイ!」っていうけど、ほんとはほんとは嬉しそうだったの、知ってるんだから。
パーティの準備は当日バタバタと始めた。
予定では料理も自分でやろうと思ってたけど、とてもじゃない、時間がないっ!たくさんのお惣菜を並べて、お母さんがきれいにお皿に並べてくれた。
おもてなしの心とは、余るほどないといけない。そういうものらしい。
ケーキも用意した。86本もろうそくを立てるのは大変だから、渋谷でかった8と6のろうそくを用意していた。(このろうそく、凄まじく早く燃えてケーキがロウで大変なことになったけど)
パーティの雰囲気を出すために、お姉ちゃんはサーフィンで鍛えた自慢の肺活量でたくさんの風船をふくらまして飾り付けをしてくれた。
意外にもこの風船でおばあちゃんは喜んでくれたようだった。
私は実は風船が苦手なので飾り付けをお姉ちゃんに任せて、おばあちゃんの妹をお迎えにいった。
おうちについたころパーティの準備はできあがり、母屋のおばあさんも来てくれて「おばあちゃんズ」
がそろった。
パーティは何をするわけでもないけど、みんなでおしゃべりして おばあちゃんズにティアラとかかぶりものして写真とったり 笑って笑って笑った!
がそろった。
パーティは何をするわけでもないけど、みんなでおしゃべりして おばあちゃんズにティアラとかかぶりものして写真とったり 笑って笑って笑った!
おばあちゃんズの会話はちょっとブラックジョークで、こっちが困惑してしまうことが多かったけど、
おばあちゃんたちの日常に少しでも刺激になることができてよかった。なによりもこの笑顔が私たちの宝物です。
おばあちゃんの時代は、お金があっても食べ物が食べられなかった時代です。おじいちゃんと出会ったのは戦前で、結婚してすぐに戦争は始りました。戦争が終わっても、子供たちを育てるのにおばあちゃんは粗食でおじいちゃんや子供たちを優先して過ごしてきました。
朝は薪をくべてご飯を炊くところからはじまり、たくさんのお弁当を作り、お風呂も薪で沸かしていました。おじいちゃんが仕事を引退してからは2人で畑でいろいろな野菜を育ててきました。
今回、一緒に畑に行ったけど、やっぱりおばあちゃんは一番イキイキとしていました。
大変な思いをしてきて、家事が好きなわけありません。
便利な世の中になりました。
こんな便利な世界で、絶対文句なんていっちゃいけません。
大事な人のために大好きな人たちのために、私も頑張ろうと思いました。
今日もおばあちゃんが喜ぶことをかんがえながら。